そよ風の昭和歌謡ブログ

昭和歌謡好きな30代のブログ

大橋純子さん、三浦徳子さん、KANさんの訃報を受けて

 

訃報について

 

最近歌謡界の訃報が多い。

11/11から本日まで発表された方々は以下の通りである。

 

歌手の大橋純子(おおはしじゅんこ)さん(11/11公表、11/9逝去、73歳)

作詞家の三浦徳子(みうらよしこ)さん(11/14公表、11/6逝去、75歳)

シンガーソングライターのKAN(かん)さん(11/17公表、11/12逝去、61歳)

 

あまりにも多くて、また、自分自身も少し疲れ気味で気分が沈んでしまった。

寒くなってきて、雪が降ったり日も短くなってきているせいもあると思うが。

 

人はいつか亡くなるけれど、こうも活躍された方々の悲しい知らせが続くとコンサートにいったとか、熱心なファンでなくても悲しくなる。

特に大橋純子さんは、最近読んだシティポップや昭和歌謡についての本にも登場していたので淋しく感じた。同じ北海道出身でもあり、コンサートにも行ってみたいなと思っていたのだが、叶わなかった。

KANさんの「愛は勝つ」は平成2年の発売であるが、30年以上前の曲が今でも広く愛されていることや、私自身も衝撃のニュースだったので取り上げた。

 

読んだ本

 

 

プロフィール

 

簡単にではあるが、お三方のプロフィールをまとめてみた。

 

大橋 純子(おおはし じゅんこ)

歌手。北海道・夕張市生まれ。短大在学中にバンド活動を始め、74年に上京、アルバム「フィーリングナウ」でデビュー。77年に「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」として発売した「シンプル・ラブ」がヒット。卓越した歌唱力で人気となり、78年「たそがれマイ・ラブ」で日本レコード大賞金賞、82年「シルエット・ロマンス」で同大賞最優秀歌唱賞を受賞した。79年には作曲家佐藤健氏と結婚していた。

2007年には、財政破綻した夕張市のために道内出身歌手のカバー曲によるCDを製作し、売り上げの中から100万円を夕張市に寄付するなど、チャリティ活動も行っていた。

 

三浦 徳子(みうら よしこ)

作詞家。青森県出身。(本名:高原徳子)

1978年9月に発売された八神純子の「みずいろの雨」が出世作

松田聖子裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」「夏の扉」、杏里「CAT'S EYE」、松原みき「真夜中のドア」、工藤静香「嵐の素顔」、郷ひろみ「お嫁サンバ」、沢田研二「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」、吉川晃司「モニカ」、早見優夏色のナンシー」など、多数のヒット作を世に送り出すなど、ポップスの黄金期を代表するヒットメーカーとして活躍した。

 

KAN(かん)

シンガーソングライター。福岡県出身。(本名:木村和=きむらかん)

1987年にアルバム「テレビの中に」でデビュー。
自身が作詞作曲を手がけ、1990年にアルバムの収録曲として発表した「愛は勝つ」は躍動感あるメロディーと、どんな困難に直面しても信じることを呼びかけ、最後に愛は勝つと励ます歌詞が大きな共感を呼び大ヒットとなる。
愛は勝つ」の売り上げはこれまでにCDやレコードなどで201万枚余りとなっている。(オリコン調べ 2023年11月20日現在)

また、北海道とも関係は深く、STVラジオでは1988年から「KANアタックヤング」、2004年から当番組「KANロックボンソワ」を担当していた。

Spotifyのリンクを貼ったら、見た目夏目漱石(笑)

でもちゃんと曲はKANさんなのでご安心を。

 

 

最後に

 

お三方ともあまり一般に知られていない曲にも名曲がありそうだし、大橋純子さんはシティポップブームで世界中の人から聴かれるようになっているので、もっと掘り下げた記事も書いてみたいと思う。

残念ながら、生の歌声を聴いたり新たな作品を聴くことは出来なくなってしまったが、残された作品をCDや配信などで楽しむこと、ブログやSNSなどで伝えていくことは出来る。

 

大橋純子さん、三浦徳子さん、KANさん素晴らしい楽曲をありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。